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zoom RSS 溝口健二作品3本をフィルムセンターで鑑賞。さて、

<<   作成日時 : 2007/08/25 22:44   >>

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昨年秋(2006年)に『雨月物語』、今夏(2007年)に『西鶴一代女』『赤線地帯』、巨匠・溝口健二作品3本をフィルムセンターにて鑑賞しました。
恥ずかしながら、監督の風貌に恐れをなして、これまで敬遠していました。
さてさて・・・

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『雨月物語』

昭和28年の作品である。
溝口健二監督没後50年ということで特集が組まれていて、さて、現在(いま)観てどうなのか、ということである。

物語は戦国時代・近江国の貧村で暮らす陶工の森雅之とその隣人で武士になり出世を夢見る小沢栄太郎を主役にした二つの物語を並行して描く構成をとっている。

物語の当初と結末は、同じ村なので男二人にそれぞれの女房、森の息子の五人が一同に会しての物語となっている。

冒頭、クレーンを使って貧村を俯瞰で捕らえながら森雅之・田中絹代夫婦を映し出すオープニングから引き込まれる。
陶工の森雅之は城下町へ瀬戸物を売りに出た際、若狭姫という女性と知り合い、生活をともにするようになる。
森・小沢の両一家が武士の一群が村を襲撃するのを逃れ、瀬戸物を城下町へ売りに出かける際の靄に煙る琵琶湖を小舟で行くシーンが美しい。
また、京マチ子扮する若狭姫が初めて森雅之に顔を見せるシーンのゾクっとするほどの妖艶な美しさ。

だが美しい若狭姫の正体は死霊であった。

中盤、陶工と若狭姫が川原でで戯れるシーン、カメラは川面を映し、砂利道へとオーバーラップする。
息子を連れた陶工の女房・田中絹代が村へと帰るシーンへと一気につながる。
このカットは見所だ。
このとき、女房の田中絹代は糧欲しさの落武者に殺されてしまう。
オーバーラップでつなぐことで、陶工側と女房側の対比が鮮やかである。

クライマックスは、若狭姫から逃れた森雅之が荒んだ我が家へ戻るシーンだ。
朽ちた我が家の中にカメラが置かれ、陶工が玄関から帰ってくる。
カメラ手前の囲炉裏端には誰もいない。半狂乱で女房と息子を探す陶工。土間を駆け回り、外へ出る陶工。カメラは陶工をゆっくりと追う。一旦外へ出た陶工が、再び玄関から入ってくると、カメラ手前の囲炉裏端に女房の田中絹代が座っている。

これをワンカットで撮っている。
このカットで田中絹代が既に死んでいることが判るのだが、その後、女房・田中絹代の横顔のバストショットを、若狭姫・京マチ子と同じ構図で撮っているカットがあり、駄目押しである。

わたしの妻はかつてこの映画を大学の講義で見せられたという。
たしかに先にあげたオーバーラップとクライマックスのワンカットは素晴らしい。
しかしながら、この映画の後、同じような手法の映画を幾度か見せられてしまっているため、もしかしたらハッと驚嘆しないかもしれない。
年月を経るということは、少しばかり不幸なのかもしれない。

といって、この映画の価値が落ちるわけではないのだが。

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『西鶴一代女』

美貌のために運命に翻弄される女の一代記である。井原西鶴の原作タイトルは『好色一代女』、「好色」とは助べえの意味ではなく「美しい女」の意味なのですね。今回初めて判りました。

さて、映画は、うーむ、個人的には乗り切れない感じがしました。
物語の展開は、美貌ゆえに翻弄されてしまう女性の浮沈を、団子の串刺しのごとくに描いていくものである。
が、殆んどのエピソードをワンショット長廻しで撮っており、どうも飽きてしまう(こういっちゃ何なんですが)。
長廻しもクレーンを使用して躍動感もあるのだが、フルサイズのショットが多く、登場人物の表情が楽しめない。
また、ショットを繋ぐことででエモーションを高めること(いわゆるモンタージュによるリズムっていうことですね)を初めから捨てているので、モンタージュ、ショットの繋ぎの躍動感を楽しみにしている身としては、ますます観ていてツライものがありました。

もしかしたら、溝口作品とあまり相性がよくないのではないかも・・・と思った次第です。

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『赤線地帯』

売春防止法が成立する/しないの端境期の赤線にある「サロン夢の城」での経営者夫婦を含めた売笑婦5人の生き様を描いた群像劇である。

神戸の良え家(ええし)のアプレ娘・京マチ子、美貌を活かして客を手玉にとってのし上がっていく若尾文子、病弱な夫の代わって通いで身体を売って勤める木暮実千代、故郷に残した息子のためにもう若くない身体を売る三益愛子、田舎出で貧しい生活でもよいから堅気の生活に憧れる町田博子の5人を中心に物語は展開する。

先に観た『西鶴一代女』では、その長廻しぶりに辟易したが、今回は機を衒(てら)わない的確な構図、余り動かないカメラ、しかしながら軽快なテンポで、ともすれば重っ苦しくなりそうな物語をスピーディに進めていく。

成功の原因の一つは京マチ子扮するアプレ娘のバイタリティであるが、若尾文子、木暮実千代、三益愛子、町田博子ともども、それぞれのkyラクタが的確に描き分けられているからであろう。

特に、町田博子がサロンを逃げ出す直前に全員が木暮実千代の貸間に揃っての場は、巧みである。

また、物語をスピーディの進めていくだけでなく、5人それぞれに女の性(さが)の哀れさを感じさせていくあたりは、やはり巨匠の名に相応しい。物語の結末を、売春防止法が成立直前に設定し、おぼこの川上康子が初めて店の戸口に立つところのカットで終わらせるあたりにも、女の性(さが)の哀れさと相対する力強さを感じさせるものがある。

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個人的に溝口健二監督とジャストフィットしているとは思わないが、「晩年の代表作はやはり観ておかなければ」とは思わざるを得ない。




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