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zoom RSS 『かぐや姫の物語』:巡る生命の物語、空前絶後の傑作です @ロードショウ・シネコン

<<   作成日時 : 2013/12/01 11:16   >>

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宮崎駿を並ぶスタジオジブリの巨匠・高畑勲監督の新作『かぐや姫の物語』、鑑賞しました。
1999年(まだ20世紀!)の『となりの山田くん』以来なので、14年ぶりなのか。
歳月が経つのは早いものです。
観終わっての感想は、
「すばらしい。まさに傑作だ。とにかく、高畑監督の「かぐや姫」の物語の解釈のすばらしさ。これしかない」。
そして、すぐに再び観たくなりました。
では、高畑監督の解釈は、どのようなものだったのでしょうか。

りゃんひさが受け取ったのは、「これは、巡る生命の物語」ということです。

そもそも「かぐや姫」の存在とは何か、です。

従来の「月からの使者」「月から遣わされた者」という解釈ではない、のです。
「月からの使者」という言葉には、言外に、「月と地球は別のもの。相反するもの」という気持ちが潜んでいます。

ですが、高畑監督は月と地球は別のもの、別の世界とはとらえていません。
クライマックス、月からかぐや姫を迎えにくるのは、仏たち。
常世(とこよ)・彼岸・西方浄土・あの世の者たちです。

かぐや姫は、あの世から、この世(現世)に再びやってきた、つまり、よみがえり、です。
仏教の世界観である「輪廻転生」のよみがえり、です。
「この世」と「あの世」が一体となって、生と死を繰り返す、巡る生命の環、という世界観。
この世界観は、こどもたちが唄う歌の「まわる水車、巡る時」という歌詞からも窺い知れます。

そして、かぐや姫は、その巡る生命の環からはみ出した者。
輪廻転生の環の中で、「あぁ、早く、この世に戻りたい」と願った者。
この世への執着が強く、この世への想いを捨てきれなかった者。

かぐや姫のこの世への執着の原因が何かは明確には描かれていません。
いとしいひとと、この世での生を満喫したい、やり直したい、というものではないかと推測されます。
(なぜなら、あの世へいくと、この世の記憶がすっかりなくなってしまうから)

キャッチコピーにある「姫が犯した罪と罰」の「罪」は、あの世においても、この世への執着が捨てきれなかったこと、ではないでしょうか。

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では、「罰」は何か。

この世での生命のありかた、生き方を、高畑監督はこれもまた歌の歌詞に込めています。
すなわち、「鳥虫獣、草木花・・・」です。
ひとも、鳥虫獣草木花たち自然の一部、その自然と調和して生きる、ということです。
「生きろ」でも「生きねば」ではなく、坦々と生きる。
自然と対立するのではなく、調和して生きる、です。

この物の観方は、宮崎駿監督が『もののけ姫』で、人間を自然と対立する者として描いたのと対照的です。
そして、登場する山の民も対照的です。
『もののけ姫』では、山を切り、掘り崩して、戦う武器の元となる鉄を作る「たたら師」、彼らは、山から鉄を取り尽してしまう存在です。
『かぐや姫の物語』では、木を伐り、彫って、椀などの生きるための生活具をつくる「木地師」、彼らは、木を伐り尽さないよう、ひとつのところに留まらず山々を巡る存在です。

かぐや姫は、ふたたびこの世に戻り、ひととして生きることを許されました。
生きるとは、自然と調和して生きる、です。
そして、幼いころは鳥虫獣、草木花とともに、いや、自分自身も虫のように這い、蛙のように跳ね、獣のように駆け巡って、生を満喫していたのです。

しかしながら、いつしか、翁の「姫を想う気持ち」とはいいつつも、その実、欲望に負けて、人間の住む都へ移り住むことになります。
そこで繰り広げられる暮らしは、実際の生とはほど遠いものでした。
欲望や虚飾や自己顕示などの「執着」が渦巻く、穢れた地。
あの世(浄土)と対照的なこの世(穢土)。

この穢土に堕とされたことが「罰」ではないでしょうか。

ですから、かぐや姫は、みずから「浄土」であるあの世に還りたい、と願ったのでしょう。

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しかし、この世にも、自然と一体となった「浄土」のようなこの世がある(あった)といまさらながら気づくのです。
あの幼いころに一緒に育った木地師の、兄と慕う青年と、あの土地でならば。

ふたりが歳を経て再会し、空を飛ぶシーンは感動的です。
叶えられなかった想い、遂げられなかった想い、その想いの集大成がふたりで空を飛ぶという表現となっているのです。
(幼いころなれなかった鳥になる、とも解せます)

先に挙げた「たたら師」と「木地師」のように、この空を飛ぶシーンも、宮崎駿作品とは対照的です。
宮崎作品では、常に、飛行機であったり、飛行船であったり、魔法の箒であったり、なんらかの道具、人間と空との間を埋める何かが必要でした。
自然との一体感を感じた『となりのトトロ』でさえ、自然の象徴であるトトロがいました。

対して、この作品では、ひとふたりだけ。
ひとの想いは、空さえも満たせるぐらいの大きなもの、おおらかなもの、だといっているのでしょう。
この飛翔シーンには、涙がでました。

このように、本来できたであろう生き方、自然と一体となった生き方、自然と調和した生き方があることを知り、思い出して、かぐや姫はこの世を離れるわけです。
そして、あの世には、この自然がない。
欲望や虚飾や自己顕示などの「執着」もない代わりに、この豊かな感情の源となる自然がない。
だから、悲しい、哀しい。

高畑監督は、こう解釈したのだと、りゃんひさは感じました。

そして、高畑監督は、画面から自然を感じさせるために、あえて余白を残し、余白を残すことでスクリーンからはみ出ることを感じさせる手法を取ったのです。
色使いも淡いのは、決して主張を押し付けない、観る側で淡さ以上の色を感じてほしい、ということだったのでしょう。

物語も手法も、空前絶後の傑作、です。

評価は、★5つ(それ以上あれば、いくらでも付けたいです)。





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2013年映画鑑賞記録

 新作:2013年度作品
  外国映画42本(うちDVD、Webなどスクリーン以外22本)
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  外国映画49本(うち劇場 2本)
  日本映画10本(うち劇場 1本)
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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
素晴らしい解釈ですね、ありがとうございます。
jyamutomaruko
2013/12/01 16:16
jyamutomarukoさん、ご訪問ありがとうございます。
鑑賞後の感想、楽しみにしています。
りゃんひさ
2013/12/01 22:57
なるほど、月はあの世ですか。とすると、月の姫であるかぐや姫は、修行をつんでえらくなった上級の霊なのでしょうね。もう、輪廻転生する必要なんかないはずなのに、そして、この世のことをもちこんではならないあの世なのに、この世に戻りたいと願ってしまったということでしょうか。
この作品をけなす人の中には、原作はこんな話ではないという意見を持つ人もいますが、もともと「竹取物語」は確固たる原作があるわけではなく、その時代時代で変化して今の形に落ち着いたもの。各人それぞれの解釈した「竹取物語」があってもいいのではないでしょうか。これは高畑版「竹取物語」ですね。彼はオリジナルよりも、既成のものを脚色してアニメを制作する方が面白いものをつくる人だと思いました。
ぷ〜太郎
2013/12/29 01:28

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