『プレステージ』:追記>鳥籠の小鳥は活(生)かされたのか。
本年度(2006年)最大の奇妙な味わい・出来栄えの映画『プレステージ』、わたしが「前半で混乱を来たし展開に驚く非知的映画」と題してレビューしたことは、 http://moviessearch.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id326220/rid47/p0/s0/c0/ で読んでいただけますが、少々言い足りないので、追記します。
本作品の原作は未読なのは、先のURLにも示したとおりですが、映画化にあたって(というか演出の方針としてのというか)の肝(キモ)がブレているのではないか、と鑑賞中からもイライラしながら感じていました。
さて、そのイライラ感の正体は何だったのか。
☆----以下、ネタバレ大いにありです------☆
映画のプロローグとエピローグに、「消える鳥籠」のマジックが出てきます。
このマジックのタネは、鳥籠をその中の小鳥と共に叩き潰して(当然のことながら中の小鳥は死んでしまいます)、テーブルの隙間に格納してしまうというものです。
この「瞬間消失」のマジックは、ヒュー・ジャックマン扮演のグレート・ダントン、クリスチャン・ベイル扮演のミスター・プロフェッサーが取り憑かれる「瞬間移動」マジックの前段にあたるものである。
ミスター・プロフェッサーが夫人と知り合うキッカケになったのも、このマジックからである。
その時、後の夫人が連れてきた少年が「小鳥が死んだ!」と泣き叫ぶ様に心いたたまれなくなったクリスチャン・ベイル(この時は未だミスター・プロフェッサーではない)が代わりの小鳥を取り出して少年を慰めるシーンがある(少年は「代わりの小鳥」であることに気づいているのだが)。当然に、これは重要なシーンだ。
ミスター・プロフェッサーは「消える鳥籠」(「瞬間移動」マジックの前段)で、「小鳥は殺さないこと」を選ぶ。
ヒュー・ジャックマン扮演のグレート・ダントンも、一旦は「瞬間移動」マジックで「小鳥を殺さないこと」をタネとするが、「代わりの小鳥」は容易に見破られてしまう。そのため、鳥籠の消失は「小鳥と共に叩き潰す」ことを選ばざるを得ない羽目になってしまう。
つまり、「消える鳥籠」の中の小鳥は、クリスチャン・ベイル扮演のミスター・プロフェッサーとヒュー・ジャックマン扮演のグレート・ダントンの両方のメタファー・象徴であることが判る。
しかしながら、今回の演出では、残念にも、それを感じることが出来ない。
それは、何故なのか。
監督・脚本のクリストファー・ノーランが、ミスター・プロフェッサーとグレート・ダントンの「瞬間移動」のトリック、そのネタばらし、驚愕の結末に興味が行き過ぎたことと、語り部を固定できなかったせいだろう。
語り部を固定できなかったことは、映画前半で視点や時間軸を交叉させすぎたため逆に混乱を招いたことからも判る。
この映画で語り部に最も相応しいのは、マイケル・ケイン扮する老マジシャンである(マイケル・ケインは『探偵 スルース』『デス・トラップ 死の罠』で丁々発止と遣りあった二人の男の片方である)。
老マジシャンは、グレート・ダントンに、「ミスター・プロフェッサーの「瞬間移動」のタネは替え玉以外にあり得ない」と得心している。グレート・ダントンのタネは見抜けないまでも(通常のマジシャンでは見抜けない)、ミスター・プロフェッサーのタネは見抜いている。さらに、彼はグレート・ダントンとミスター・プロフェッサーの師匠でもあり、終始、物語の第三者的立場にある。この第三者的立場からの視点で、ストーリーを進めて行けば、判りやすくなったのではないだろうか。
そして、もうひとつの「驚愕の結末に興味が行き過ぎたこと」については、ミスター・プロフェッサーとグレート・ダントンの2つのネタばらしを終盤に持ってきたことである。
ドンデンに次ぐドンデンといえば聞こえはいいが、観ている方としては落ち着かないことの方がが多い。
マイケル・ケイン扮する老マジシャンを語り部にすることで、常識的な範疇のミスター・プロフェッサーのトリックは、ヒッチコックの『めまい』同様、ストーリーの中盤に持ってくることができる、と思われる。
常識的なトリックを予め提示することで、グレート・ダントンの常識を超えたネタばらしをクライマックスにすることが出来、驚愕度(唖然度かもしれないが)を高めることができたのではないか、とも思われた。
このようなストーリーの流れで、マイケル・ケイン扮する老マジシャンによるプロローグで「消える鳥籠にも似た不思議な話を聞かせよう」という意味のセリフで始まり、エピローグに「鳥籠の小鳥は殺すこともできるが、生かすこともできる」という意味のセリフで締めくくるれば、グレート・ダントンとミスター・プロフェッサーの物語が「悲しくも切なく、そしてとても不思議な話」として成り立ったのではないだろうか。
☆----わたしが薦める本作品鑑賞のレビューページと紹介ページは次のとおりです------☆
素晴らしい映画を観たいさんのyahoo!Myムービーレビュー「全ての伏線を理解すればもっと評価できる?」
http://moviessearch.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id326220/rid150/p0/s0/c0/
『世にも奇妙な物語』などの脚本家、中村樹基の、「ネタバレ徹底紹介:映画を観たあなたにだけ教える!ラストの『まさか!』と、その謎を大検証!」(映画サイト「Movie Walker」中、期間限定かも)
http://www.walkerplus.com/movie/report/report4897.html?identifier=pickup2
なお、いずれも妻に教えてもらいました。
本作品の原作は未読なのは、先のURLにも示したとおりですが、映画化にあたって(というか演出の方針としてのというか)の肝(キモ)がブレているのではないか、と鑑賞中からもイライラしながら感じていました。
さて、そのイライラ感の正体は何だったのか。
☆----以下、ネタバレ大いにありです------☆
映画のプロローグとエピローグに、「消える鳥籠」のマジックが出てきます。
このマジックのタネは、鳥籠をその中の小鳥と共に叩き潰して(当然のことながら中の小鳥は死んでしまいます)、テーブルの隙間に格納してしまうというものです。
この「瞬間消失」のマジックは、ヒュー・ジャックマン扮演のグレート・ダントン、クリスチャン・ベイル扮演のミスター・プロフェッサーが取り憑かれる「瞬間移動」マジックの前段にあたるものである。
ミスター・プロフェッサーが夫人と知り合うキッカケになったのも、このマジックからである。
その時、後の夫人が連れてきた少年が「小鳥が死んだ!」と泣き叫ぶ様に心いたたまれなくなったクリスチャン・ベイル(この時は未だミスター・プロフェッサーではない)が代わりの小鳥を取り出して少年を慰めるシーンがある(少年は「代わりの小鳥」であることに気づいているのだが)。当然に、これは重要なシーンだ。
ミスター・プロフェッサーは「消える鳥籠」(「瞬間移動」マジックの前段)で、「小鳥は殺さないこと」を選ぶ。
ヒュー・ジャックマン扮演のグレート・ダントンも、一旦は「瞬間移動」マジックで「小鳥を殺さないこと」をタネとするが、「代わりの小鳥」は容易に見破られてしまう。そのため、鳥籠の消失は「小鳥と共に叩き潰す」ことを選ばざるを得ない羽目になってしまう。
つまり、「消える鳥籠」の中の小鳥は、クリスチャン・ベイル扮演のミスター・プロフェッサーとヒュー・ジャックマン扮演のグレート・ダントンの両方のメタファー・象徴であることが判る。
しかしながら、今回の演出では、残念にも、それを感じることが出来ない。
それは、何故なのか。
監督・脚本のクリストファー・ノーランが、ミスター・プロフェッサーとグレート・ダントンの「瞬間移動」のトリック、そのネタばらし、驚愕の結末に興味が行き過ぎたことと、語り部を固定できなかったせいだろう。
語り部を固定できなかったことは、映画前半で視点や時間軸を交叉させすぎたため逆に混乱を招いたことからも判る。
この映画で語り部に最も相応しいのは、マイケル・ケイン扮する老マジシャンである(マイケル・ケインは『探偵 スルース』『デス・トラップ 死の罠』で丁々発止と遣りあった二人の男の片方である)。
老マジシャンは、グレート・ダントンに、「ミスター・プロフェッサーの「瞬間移動」のタネは替え玉以外にあり得ない」と得心している。グレート・ダントンのタネは見抜けないまでも(通常のマジシャンでは見抜けない)、ミスター・プロフェッサーのタネは見抜いている。さらに、彼はグレート・ダントンとミスター・プロフェッサーの師匠でもあり、終始、物語の第三者的立場にある。この第三者的立場からの視点で、ストーリーを進めて行けば、判りやすくなったのではないだろうか。
そして、もうひとつの「驚愕の結末に興味が行き過ぎたこと」については、ミスター・プロフェッサーとグレート・ダントンの2つのネタばらしを終盤に持ってきたことである。
ドンデンに次ぐドンデンといえば聞こえはいいが、観ている方としては落ち着かないことの方がが多い。
マイケル・ケイン扮する老マジシャンを語り部にすることで、常識的な範疇のミスター・プロフェッサーのトリックは、ヒッチコックの『めまい』同様、ストーリーの中盤に持ってくることができる、と思われる。
常識的なトリックを予め提示することで、グレート・ダントンの常識を超えたネタばらしをクライマックスにすることが出来、驚愕度(唖然度かもしれないが)を高めることができたのではないか、とも思われた。
このようなストーリーの流れで、マイケル・ケイン扮する老マジシャンによるプロローグで「消える鳥籠にも似た不思議な話を聞かせよう」という意味のセリフで始まり、エピローグに「鳥籠の小鳥は殺すこともできるが、生かすこともできる」という意味のセリフで締めくくるれば、グレート・ダントンとミスター・プロフェッサーの物語が「悲しくも切なく、そしてとても不思議な話」として成り立ったのではないだろうか。
☆----わたしが薦める本作品鑑賞のレビューページと紹介ページは次のとおりです------☆
素晴らしい映画を観たいさんのyahoo!Myムービーレビュー「全ての伏線を理解すればもっと評価できる?」
http://moviessearch.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id326220/rid150/p0/s0/c0/
『世にも奇妙な物語』などの脚本家、中村樹基の、「ネタバレ徹底紹介:映画を観たあなたにだけ教える!ラストの『まさか!』と、その謎を大検証!」(映画サイト「Movie Walker」中、期間限定かも)
http://www.walkerplus.com/movie/report/report4897.html?identifier=pickup2
なお、いずれも妻に教えてもらいました。
この記事へのコメント
>語り部を固定できなかったせいだろう。
・なるほど~と思いながら読ませて頂きましたm(__)m☆作品として一貫性が無く、それぞれのエピソードがバラバラに点在しているように感じたのは、複雑な時系列の見せ方だけじゃなかったんだ…と思いました。