『街のあかり』:追記の追記:小津映画と比べてみる

「秋日和のカロリー軒」さんのブログ(URLは文末参照)にカウリスマキ監督の『街のあかり』と小津作品の比較が掲載されていた(こちらもURLは文末参照)ので、わたしなりに比較検討してみました。
なお、トラックバックしてみますが、上手くいくかどうか・・・

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「秋日和のカロリー軒」さんは、

<<小津安二郎の映画はどれも同じようなのに、なぜあれほどまでに驚きに満ち、小津には予期せぬ瞬間、あらゆる前後の持続を超越してしまう瞬間があり>>
<<小津の精神を受け継がんとするカウリスマキの映画には単なる安心感しかないのか、カウリスマキの映画には予期していたものがそのままの形でしか現れない>>


と指摘しています。

さて、最近晩年の小津作品を見返して気づいたことは、「小津映画はアクション映画である」ということです。

ここでいうアクション映画とは、「アクションシーンがある映画」ではなく、「画面に躍動感を感じる映画」と言う意味です。

躍動感とは何か?

固定されたフレームとフレームとの繋ぎが「動作」であり、その「動作の途中」でカットを繋ぐことで、画面は動いていないにも係わらず、「正に動いている」と感じることです。

例を挙げれば、主人公の女性が父親に話しかけ、ちゃぶ台を間に挟んで座る際、小津は、据わる動作の途中でカットを割り、座ってくる途中で繋いでいく。

いわゆる「アクションつなぎ」です。
黒澤明の映画で頻繁に用いられた手法です。

小津映画では「アクションつなぎ」が多用されています。それが、ご指摘のような<<予期せぬ瞬間、あらゆる前後の持続を超越してしまう瞬間>>を生み出しているといえるでしょう。

これに対して(いわなくてもお判りでしょうが)、カウリスマキは「アクションつなぎ」を使いません。
それ以前に、「登場人物たちの画面内での動きを必要最小限までに」制限してしまいます。

まるで書割の背景のように。

この制限された動作と、過去に用いられた物語の再生が、<<カウリスマキの映画には予期していたものがそのままの形でしか現れない>>印象を残しているのだと思います。

いかがでしょうか?

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「秋日和のカロリー軒」さんのブログ:http://mycasty.jp/akibiyori/index_home.html
 ↑ のうちの『街のあかり』の記事:http://mycasty.jp/akibiyori/html/2007-07/07-10-771195.html


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