『秋のソナタ』: 母娘の確執の陰に、神の存在を感じてしまう @ロードショウ・単館系

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2013年、劇場鑑賞の2本目はイングマール・ベルイマン監督の『秋のソナタ』。
1978年製作で1981年に初公開。
初公開時に観ていますが、その頃は中学生から高校生になったころ。
こんな母と娘の確執のハナシなど判るはずがなかった、です。
で、歳を経て観たなれば・・・

どんどんと麻痺していく病気を患った妹を看病し、いまは、牧師と結婚をしているリブ・ウルマン。
離れて暮らすピアニストの母親イングリッド・バーグマンが、長らく連れ添った夫がわりのひとと死に別れた、ということを聞き、母親を自分たちが暮らす牧師館へ迎えることにする。

ウルマンは、かつて幼い息子を亡くし、その想い出に浸ることが多い。
その気持ちは判らないでもないが、もう済んだこと、詮方なし、と母親は思っている。

どうにかこうにか時を過ごした母親と娘は、夜、ふたりの間のわだかまりを赤裸々にぶつけあうことになる・・・・

この赤裸々な葛藤のぶつかりあいが、この映画の見どころで、ベルイマン監督は、アップで彼女たちの心の奥底を描いていきます。

なのですが、うーむ、歳を経て観たからといって、彼女たちの葛藤が身につまされて感じるかというと、そうではなく、「もう、そんな、覆水盆に返らずみたいなことを・・・」と拒絶反応が出てしまいました。
(拒絶反応、といえば聞こえはいいですが、一瞬眠っていた、というのが正確な表現です)

とはいえ、ただの母と娘の葛藤・確執の物語の陰に、なぜか、神の存在(または不在)を感じました。

それは、どんどんと麻痺していく妹の存在です。
何かを伝えようとするのですが、伝えることができず、ただの叫びになってしまう。
そして、自分では生活ができない。
母親バーグマンを愛しているとも、姉ウルマンを愛しているとも、伝えられず、ベッドで悶絶し、床を這いまわざるを得ない。

母親バーグマンと姉ウルマンは、普段は、愛している、気にかけている、心配しているなどの、相手を慮った言葉を口にしているが、その本心は隠されていて、真実を告げると、それはわだかまりのぶつかり合いになってしまう。

さらに、姉バーグマンの夫である牧師の存在。
彼は、バーグマンとウルマンの間に入るだけでなく、彼らの赤裸々な吐露を聞くだけ。
それはまるで、告解のよう。

そして、ラスト、母親を赦すという手紙をウルマンは書くのだが、その手紙を出すことを夫である牧師に預ける。
夫はその手紙を読み、赦すということが本心でないことを感じて、そっと封筒に戻すところで映画が終わる。

このラストも意味深で、どのように解釈すればよいのか・・・

りゃんひさは、告解のあとでも改まらない人間のエゴというか、業というか、を感じました。
それは、告解でも救えない、牧師としてのもどかしさ、哀しさのように思いました。
告解でも救えない、となると、神はいないのではないか・・・と。

このラストで、ただの母と娘の葛藤・確執の物語の陰に、神の存在(または不在)を感じたのであります。

初公開時に観た際は、そんなことは感じなかった(というか、たぶん熟睡していたはず)ので、歳を経て、少しは、ものを感じるようになったということでしょう。

評価は★4つとしておきます。



 

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2013年映画鑑賞記録

 新作:2013年度作品
  外国映画 1本(うちDVD、Webなどスクリーン以外 0本)
  日本映画 0本(うちDVD、Webなどスクリーン以外 0本)

 旧作:2013年以前の作品
  外国映画 1本(うち劇場 1本)←カウントアップ
  日本映画 0本(うち劇場 0本)
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この記事へのコメント

ぷ~太郎
2013年01月16日 18:55
ベルイマン監督作品は「神」の問題と切り離せないものであるなら、牧師の存在がそれを暗示しているのだと思いますが、自身の好みの観方をしてしまうので、母娘の葛藤の話として大変面白く鑑賞しました。自分の母親から愛された経験がなく育ったバーグマンは、当然のごとく娘をうまく愛することができません。というか、自身の感情表現すら音楽を通してしかできないのです。娘は当然愛に飢え混乱し、反動のように自分の子供を溺愛するようになります。その子供が死んでもそれは変わりません。子供の死すら認めていないのです。難病の妹は二人の間で、まるで彼女達の心の思いを代弁するかのように必死に愛を求めて声にならない声で叫びますが、それは二人の耳には聞えないのです。
荒涼たる砂地のような母娘ですが、それでも牧師はそっと何も言わず二人を見守っています。ラストの手紙を封筒に戻す牧師の行為の意味をどうとるかは
判断が難しいですが、私は二人がどうなるにしろ、牧師は変わらずに見守っていると思いたいです。そう、神はいつも身近にいると。

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