『危険なプロット』:品のいい悪趣味な映画、とでも言いますか @ロードショウ・シネコン

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『まぼろし』『8人の女たち』のフランソワ・オゾン監督の最新作『危険なプロット』、公開初日に鑑賞しました。
原題は「DANS LA MAISON」、「家の中で」。
物語はすべて家の中で起こらなければならない・・・と映画の中のセリフにも出てきます。
さて、映画。

フランス文学の高校教師ファブリス・ルキーニ。
文学の手始めとして、生徒たちに週末の出来事を書かせる宿題を出した。
出したはいいが、却ってきた内容といえば、誰もかれもお粗末なもの。
しかし、ひとりだけ、興味深い内容と文章があった。
友人の家庭に招かれて、その家族の様子を記したもの。
それが「続く」で締めくくられている。
生徒の才能に惹かれるとともに、続きが気になって仕方がない教師は、続きを書くように奨め、それはいつしかひとつの物語になっていく・・・

かつて大河ドラマ映画『エンジェル』を撮った「物語」好きなフランソワ・オゾン監督らしい仕立ての映画です。
物語がどのようにして生まれるか、事実なのか、虚構なのか。

物語を紡ぐ生徒は「実際に、かれらの家に行かないと判らない」といい、教師は「読者が想像もしない展開が必要だ」という。
「虚構」の梗概(プロット)が、穏やかな家庭(事実)を壊すという「危険」な方向へ導いていきます。

これを小説でやれば、小説を考える小説(メタ小説)ということになるのですが、映画なので、そのようにはなりません。

なぜなら、映画において物語を進める原動力は「書く」ではなく、「視る」だからです。
この「視る」行為がイヤらしい。

教師が惹かれているのは、生徒の才能なのか、それとも対象の家族を覗き見たいという欲望なのか。
その覗き見たい事実が、想像もしない方向へ進んでほしいのか。

「視る」ことから生まれる「悪趣味さ」が映画の底流にあり、それをまたウイットというかエスプリというか、流麗な映像で魅せて見世ていくのです。
観ている観客も覗き見趣味なのですよ、といわんばかり。
なんともまぁ、品のいい悪趣味な映画、ではありますまいか。

映画のラスト、教師と生徒はふたり並んで、向こうにあるアパルトマンの窓々を眺めます。
アパルトマンの窓々は、ストーリーテラーの神様ヒッチコックの『裏窓』を髣髴とさせます。
ふたりは、その窓に観える光景について、それぞれに物語を語って(騙って)いきます。
いくつもの並んだ窓(事実)から、またまた紡ぎだされる物語(虚構)。

フランソワ・オゾン監督、やりますなぁ。
評価は★4つとしておきます。

<追記>
全編に流れる音楽は『めまい』『サイコ』のバーナード・ハーマンを髣髴とさせます。

 

           

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2013年映画鑑賞記録

 新作:2013年度作品
  外国映画31本(うちDVD、Webなどスクリーン以外16本)←カウントアップ
  日本映画18本(うちDVD、Webなどスクリーン以外 4本)

 旧作:2013年以前の作品
  外国映画47本(うち劇場 2本)
  日本映画 9本(うち劇場 1本)
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