『太陽の王子 ホルスの大冒険』:高畑・宮崎ふたりの「出発点にして訣別点」 @DVD・レンタル
昨年2013年、『かぐや姫の物語』に甚(いた)く感動し、そういえば、高畑勲監督の初監督作『太陽の王子 ホルスの大冒険』は観ていなかった。
1968年7月に公開された当時は、まだ映画館で映画を観る前。
ということで、今回、鑑賞。
むかし、ある時代のある北国での物語。
少年ホルスは、亡くなる寸前の父から、昔の話を聞きます。
それは、かつて、父が暮らしていた村は悪魔に滅ぼされ、父だけがホルスを連れて逃げて生き延びた、ということ。
そして、ホルスに人間の住む村へ行って暮らせ、といって息を引き取ります。
ホルスは、小熊のコロとともに、巨大な岩男モーグの肩から引き抜いた太陽の剣と、父の形見の斧を持って、人間の住む村を目指すのでありました。
人間の村へ向かう途中、悪魔グルンワルドの眼を付けられたホルス。
ホルスと村に災厄が降りかかり、ひとびとの心に猜疑が植えつけられていきます。
その一端を握るのが、謎の美少女ヒルダ。
ヒルダは、かつてグルンワルドに滅ぼされた村(ホルスの父が逃げ出した村とは別)の唯一の生き残り。
美しい竪琴の響きと、美しい歌声でひとびとを魅了していきますが、彼女の正体は・・・。
巻頭から、狼の大群に襲われるホルス、地中から立ち上がる岩男モーグとスペクタクルの連続です。
場面構成を担当した宮崎駿の構成力と、高畑勲のスピーディな演出が目を瞠(みは)ります。
物語に合わせて緩急をつけて高畑勲の演出は、その後の作品群のどちらかという大らかな雰囲気とは一線を画しております。
しかし、村の若者ルサンと娘ピリヤの結婚式では異国風味満載で、細部に凝っているあたり、後の『ハイジ』に繋がっていくのが判ります。
そしてもうひとつ特筆すべきは、ヒルダが唄う歌。
村のひとびとを魅了するその歌詞。
むかしむかし かみさまがいいました
おやすみ みんな
やさしい わたしのこどもたちよ・・・
その後に続く歌詞は、
カワウソが神様に「敵対するクロクマをやっつけてくれ」と願い、神様がクロクマの腕を切り落とす。
クロクマが神様に「カワウソに報復をしてくれ」と願い、神様がカワウソを火にくべる。
そして、神様は、こどもたち(カワウソやクロクマ)に「おやすみ」といいます。
ひぇぇぇ、怖ろしい、恐ろべしい。
1968年といえば、あさま山荘事件の4年前。
まだ、日米安保で日本が揺れていた時代。
悪魔グルンワルドによって、日本が再び軍事国家になろうとしているのではあるまいか。
そんな思いが込められていたと想像するのは難しくありません。
最後、ホルスは村びとたちの力を借りて悪魔グルンワルドを倒すのですが、その倒し方はいわゆる戦いではありません。
村びとたちの力により鍛えられた太陽の剣と、村びとたちが掲げ持つ槍の穂先の光が、悪魔グルンワルドを倒すのです。
それは、美しく清らかな心が闇の心に勝つ、ということの象徴でしょう。
その後の高畑勲監督を宮崎駿監督の作品を眺めると、りゃんひさは次のように感じます。
戦わねば幸せは得られない、という宮崎駿。
戦うことよりも融和・心をうち解けることで幸せを得られる、という高畑勲。
この映画は、高畑・宮崎ふたりの「出発点にして訣別点」かもしれません。
評価は★4つ半としておきます。
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2014年映画鑑賞記録
新作:2014年度作品
外国映画 6本(うちDVD、Webなどスクリーン以外 5本)
日本映画 0本(うちDVD、Webなどスクリーン以外 0本)
旧作:2014年以前の作品
外国映画19本(うち劇場 2本)
日本映画 6本(うち劇場 0本)←カウントアップ
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