『欲望』ミケランジェロ・アントニオーニ監督:拡大すれば何かがみえるのか @DVD
『赤い砂漠』を観てから約2週間。
ミケランジェロ・アントニオーニ監督の1966年製作『欲望』、DVDで鑑賞しました。
「不条理」の冠がつきまとう、この映画・・・
さて、どんなものかしら。
ロンドンの若い写真家トマス(デヴィッド・ヘミングス)。
日々ファッション写真を撮っている彼が、気分転換に広い公園に出かけたところ、若い女性(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)と中年男性が逢いびきしているところを目撃する。
その様子をカメラに収めた彼のもとに、件の若い女性がフィルムを返せと執拗にやってくる。
彼女の執拗さから、彼は何か写っているのかと、フィルムを現像し、拡大すると、なにやら件の中年男性が倒れているようなものに気づいた。
それも木陰から拳銃で狙っている男も写っているようにもみえる。
あまりに気になったので、その夜、公園に再度出かけたところ、たしかに中年男性が倒れているのを見つける。
しかし、翌朝ふたたび出かけてみると、男性の身体はどこにもなかった・・・
というハナシで、ここから始まればミステリーなのだが、映画はこれが全て。
うーむ、わかったような、わからないような・・・
といいたいところだが、それほどでもない。
いわゆる、観念劇とでもいう類のもので、「見えているものが現実なのか。見えてなくても現実ではないのか」と言っているだけのような気がする。
その根拠は、ふたつ。
ひとつは、冒頭と巻末に登場してバカ騒ぎする若者たち。
彼らの無軌道な行動は、現実をバカにしているところが根底にあるが、そんな彼らが巻末に興じるのはエアテニス。
見えないテニスボール、見えないラケットで打ち合いをするというもの。
最後の最後、トマスもそのエアテニスに参加する羽目になり、見えないテニスボールを彼らに投げ返す。
もうひとつは、途中で2度ほど登場するトマスの友人の前衛画家とその彼女パトリシア(サラ・マイルズ)の存在。
写真を拡大して、拳銃と死体が写っているとパトリシアに告げるトマスに対して、「なんだか彼が描く絵みたい」と返す。
前衛画家が描く絵は、絵筆に絵の具を乗せて、ピュッピュッと飛沫を飛ばして描くもので、要するに、明確な実体を持っていない。
拡大した写真も、徐々に粒子が粗くなって、拳銃だか死体だかは、そう思えばそう思えるし、ただのモヤモヤにしか見えないといえばモヤモヤなのだ。
つまり、なにかを拡大しても、なにが見えるというわけではなく、「見たい」と思ったものしか「見えない」ということ。
夜、公園でみた死体も、その類で、「見たい」と思ったので「見えただけ」のこと。
(よくよく考えれば、夜まで死体がそのまま、なんていうことは、あまりに非常識すぎる。トマスは計画殺人だ、と騒いでいるにもかかわらず、である)
というわけで、それほど「不条理」な映画でもない。
ところで、日本題名の『欲望』って、どういうことかしらん・・・
まぁ、当時の映画の中では、あまりにもヘンテコリンな内容なので、とにかく扇情的なタイトルを!と思ったのか、それとも、「見えるのは見たいという欲望があるものだけ」という意味で付けたのだろうか。
ここんところは謎である。
評価は★★★☆(3つ半)としておきます。
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2016年映画鑑賞記録
新作:2016年度作品:61本
外国映画43本(うちDVDなど 4本)
日本映画18本(うちDVDなど 3本)
旧作:2016年以前の作品:72本
外国映画56本(うち劇場11本)←カウントアップ
日本映画16本(うち劇場 5本)
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