『ダゲレオタイプの女』:後半、妖しさや怖さが減速していく @ロードショウ・単館系

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黒沢清監督が全編フランスで撮った新作『ダゲレオタイプの女』、ロードショウで鑑賞しました。
LOFT ロフト』や『』あたりでは、「この先、この監督の作品を観つづけていいのかしらん」と思っていたものだが、結局観つづけて、前作の『クリーピー 偽りの隣人』のような傑作に出会えて、観つづけた甲斐があった。
さて、今回は・・・

世界最古の写真撮影技法(ダゲレオタイプ)を用いて娘の写真を撮り続けているステファン(オリヴィエ・グルメ)。
高齢の助手に代わって採用されたのがジャン(タハール・ラヒム)。
被写体になる娘マリー(コンスタンス・ルソー)は、撮影の都度、長時間にわたり器具に固定を強いられている。
ジャンは写真撮影にも魅入られるが、マリーにも思いを寄せていく。
そして、ステファンは、かつてのモデル=妻のことが忘れらないでいた・・・

という設定の物語は、写真という「時の停まった女性」に魅入られる妖しい怪談である。

前半は素晴らしい。
これまでの黒沢監督以上に、美術や画面の印影が冴えている。
そして、ゆっくりと意味ありげに動くカメラも、また、傑作誕生を思わせる。

しかしながら、後半になって、その妖しさは失速していく。

事故で死んだと思われたマリーが息を吹き返し、ジャンと暮らし始めるあたりから、闇は消え、物語も破綻していく。
まぁ、息を吹き返したマリーが実は幽霊で・・・といったことが物語の(ひいては映画の)破綻ではない。

ダゲレオタイプという写真撮影方法が、後半ほとんど活かされておらず、そこのことで物語の説得力を欠いていくことに由来するのだろう。

写真、それも等身大の銀板写真によって永遠の命を得ることと、幽霊として現れることの関連性がわからない。
いや、わかるんだけれど、妖しくない。魅力的でない。
なんだか、1足す1は2みたいな、幼稚な算数みたいにしかみえない。

たぶん、後半、あまりにも娘の登場シーンが多すぎ、かつ明るい日常で世俗的すぎて、なんだかなぁ、なのである。
西洋における幽霊は、闇に潜むものでないにしても、である。

後半、あまりに語りすぎて、それが怖くもなければ、美しくもないという結果になったのかもしれない。

これはエンディングも同じで、あまりに見せすぎ、芝居しすぎで、説明しすぎ。
もっとさらりと締めくくった方が、怖さや美しさや切なさがあらわせたのではありますまいか。

131分の尺だが、少なくとも20分ぐらい(欲を言えば40分ぐらい)詰めて、小品に仕立て上げた方が良かったかもしれない。

黒澤清作品としては、平凡な出来。

評価は★★★(3つ)としておきます。

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2016年映画鑑賞記録

新作:2016年度作品:93本
 外国映画62本(うちDVDなど 9本)←カウントアップ
 日本映画31本(うちDVDなど 5本)

旧作:2016年以前の作品:96本
 外国映画76本(うち劇場15本)
 日本映画20本(うち劇場 6本)
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この記事へのコメント

ぷ~太郎
2016年11月10日 01:30
母親の幽霊は妖しさたっぷりなのに、娘の幽霊は軽々しすぎて魅力に欠けていますね。おっしゃる通リ説明の過多です。娘の話は省いて、両親の愛憎劇だけにした方がよかったのでは。
2016年11月10日 22:42
ぷ~太郎さん、コメントありがとうございます。
そういえば、本作に関する黒沢清監督のインタビューで「幽霊を高速度撮影をして明るい光の中で撮った」云々の話があったのですが、まぁ、それは母親の幽霊のワンシーンだけですね。娘の方にも撮り方を工夫しないといけなかったことに気づいていないのが、なんとも・・・黒沢清監督らしいところ。

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