『もうひとつの世界』:特殊な状況のなかで変わっていく人々 @特集上映

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と(というのは話題を変えるときに使うのだろうけど)、なんだか新作を劇場に観に行く気にもなれず・・・でも観ている旧作は意外と多く。
ってなことで、旧作のレビューって、観た順にするのもなんだか気が引ける。
よくわからないけれど、順番にレビューするだけでは、ただただ映画を消費しているような気がする。
とはいえ、レビューを書かないと自分自身で映画を消化出来ていないような気もする・・・
というのは、ときおり訪れるようで、今回もそう。
でも、結構援けられたのはマルゲリータ・ブイの旧作新作の2本。
ちょっと関連付けができると、忘れないうちに書かねば、と思う次第。
さて、旧作。

舞台はイタリア北部のミラノ。
新米修道女カテリーナ(マルゲリータ・ブイ)はある朝、ひょんなことから捨て子を手にしてしまう。
朝のジョギング中の男性から、見つけた、といって手渡されたもの。
その赤ん坊は着古したセーターにくるまれており、そのセーターを伝手にクリーニング店を訪ねるが、店主エルネスト(シルヴィオ・オルランド)はセーターには心当たりはあるようだが、赤ん坊には心当たりがない。
しかしながら、これもなにかの縁と感じたカテリーナは、エルネストを巻き込み、母親探しに精を出す・・・

というところから始まる物語で、少々コメディタッチに物語の初めを紹介したのだが、演出は至って真面目。

というのは、こんな題材ならばいくらでもコメディになりそうなのに、『ローマの教室で ~我らの佳き日々~』のジュゼッペ・ピッチョーニは安易に流れない。
そこがいいとろころ。
抑制が効いている。

安易な結果としては、

赤ん坊の母親は見つかり、母親のもとに引き取られる
赤ん坊の母親は見つからず、けれどもカテリーナとエルネストが意気投合、恋仲になり、赤ん坊を引き取る

というようなことが考えられるが、そんなところへ着地しない。

とすれば、なんだかシリアスなツライ結末のように思えるのだが、タイトルにあるように「もうひとつの世界」を観客にみせることで、この映画は決着する。
それも、「もうひとつ」ではなく、もう「ふたつ」の映画き方で。

こんなみせ方は、もしかするとはじめてかもしれない(とはいいえ原題の英訳は「NOT OF THIS WORLD」。この世界ではない別のもの、なので、ひとつとは限らない)。

ひとつは、赤ん坊の見た世界。
これは、焦点をずらしたボケボケ画面で登場する。
終盤、赤ん坊でない視点でシーンが撮られるので、ここが重要な演出。

もうひとつは、ポートレート風のショット。
それは、これまでの現実世界の様子か、これからの希望の様子かは示されない。
ただ、いま現在の幸せなショットとは異なる。

というような、ふたつの異化作用のあるショットをはさんで、この映画、物語以上に芳醇な人間味を感じさせてくれます。

1998年製作なので、マルゲリータ・ブイもシルヴィオ・オルランドも若い。
機会があれば、鑑賞することをお薦めする一篇です。

評価は★★★★(4つ)としておきます。

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2018年映画鑑賞記録

新作:2018年度作品:60本
 外国映画49本(うちDVDなど 2本)
 日本映画11本(うちDVDなど 0本)

旧作:2018年以前の作品:59本
 外国映画52本(うち劇場鑑賞12本)←カウントアップ
 日本映画 7本(うち劇場鑑賞 1本)
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この記事へのコメント

ぷ~太郎
2018年11月27日 16:01
これは良い作品でしたね。私が観た時には満席続きでなかなか観れませんでした。マルゲリータ・ブイはいい女優さんです。若くても、やや歳とった今も、雰囲気があり演技がうまいので好きですね。この作品、おっしゃる通り安易な方向へ流れないのが特にいいです。修道女とクリーニング店主がそれまで思ってもいなかった世界があること知り、迷い、でももとの道を歩む。しかし彼らはもとの彼らではない。少しだけ人間的に大きくなったのだと思います。そう、それが人生ですよね。
2018年11月27日 21:34
ぷ~太郎さん、安易な方向へ流れ、観客のちょっとした(観ている方は大きな、と思うような)感激を呼ぶような類の映画ではく、こういう映画を観ると、まだまだ映画を観つづけようと思う次第です。

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