『ボヘミアン・ラプソディ』: 音楽の厚みほど、映画は厚くないような @ロードショウ・シネコン
久しぶりに新作映画をロードショウで鑑賞です。
もしかして、10月は劇場で新作を観ていない??
今月はこの作品を皮切りに、何本か食指の動く作品が登場するので、この先も楽しみです。
映画は『ボヘミアン・ラプソディ』。
英国のスーパーバンド、クイーンのリードボーカル、フレディ・マーキュリーの物語です。
1970年代の英国。
空港で乗客荷物の仕分けのアルバイトをしていた学生のフレディ(ラミ・マレック)。
同僚から「パキ(パキスタン人の蔑称」と呼ばれているが、実際は、南アフリカ・ザンジバルの生まれで、家族はペルシャ系インド人。
好きなロックバンドの追っかけをしていたが、ある日、そのバンドのリードボーカルが仲間と喧嘩別れをして止めてしまう。
そこに居合わせたフレディは、自分をボーカルとして加えてくれないか、曲も書けると申し出る・・・
といったところから始まる映画は、前半はロックバンド・クイーン誕生とスーパーバンドへ昇っていく物語。
それほどクイーンのファンでもなかったので、ふーん、そうだったのか・・・というのが正直なところ。
このあたりまでは、まぁ、普通よりちょっと面白い(興味深い)ぐらいの映画。
映画のドラマが厚くなり、面白くなってくるのは中盤以降。
婚約者(当然、女性)がいるにもかかわらず、心の奥底にある同性愛心に火が付いてしまう。
ツアー途中の男性トイレの前で気づいてしまうシーンのカットバックが巧みで、それが瞬時に観ている側に伝わってきます。
こうなると、内面は引き裂かれたような状態になり、素晴らしい曲をつくるものの、心の奥底は満たされない・・・自分自身への不満が募り・・・ということになっていきます。
フレディは、付き人の男性を信頼しているが、かれはそうではなく、傍から見れば、フレディを食いものにしているのだけれど、それには気づかない。
となると、ミュージシャンが走っちゃう路は決まっていて、ドラッグ&セックス・・・
ここいらあたりの描写は、過去のミュージシャンを題材にした映画でも結構観たシーンなのだけれど、やっぱり切な胸狂おしい。
最後の最後、どん底に堕ちたフレディが、ふたたびクイーンの仲間とともに、ライブエイドの舞台で燦然と輝くシーンは、爆裂の音楽と相まって、クイーン・ファンではないけれども、やはりジーンと胸が熱くなりました。
でも、個人的には、音楽の厚みほど映画に厚みがなかったかなぁ、というのが正直なところ。
終盤、「バンド=家族」というキーワードが繰り返されるのだけれど、フレディのルーツとして父母妹といった家族のドラマが効いていないように思いました。
途中に、何カットか、もとの家族のカットがあれば、終盤のドラマに厚みが増したのだと思うのですが。
とはいえ、ミュージシャンの伝記映画としては上位に位置する作品ですが。
評価は★★★★(4つ)です。
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2018年映画鑑賞記録
新作:2018年度作品:74本
外国映画59本(うちDVDなど 7本)←カウントアップ
日本映画15本(うちDVDなど 2本)
旧作:2018年以前の作品:71本
外国映画62本(うち劇場鑑賞15本)
日本映画 9本(うち劇場鑑賞 3本)
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この記事へのコメント
クイーンのスーパーバンドぶりも、この映画で一層大きくなったかもしれません。
作品の中盤以降に対するりゃんひささんの洞察、素敵です。フレディのアイデンティティは有名なものであったけれど、実際に(フィクション混じっていたとしても)映像になるとぐっとくる。彼も芸術家として、一人の人間として、楽しく辛い日々を送っていたのだなぁって。
フレディ個人のアイデンティティの掘り下げ、もう少し欲しかったところ。
製作終盤でブライアン・シンガー監督が降板している(彼もまた同性愛者)ので、すったもんだがあったかも、と後で思いました。