『ハナレイ・ベイ』:少し不足もあるもののなかなか見応えある出来 @DVD・レンタル

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昨年2018年秋にロードショウされた『ハナレイ・ベイ』、DVDで鑑賞しました。
原作は村上春樹の同名短編小説。
村上春樹小説の映画化作品・・・って『風の歌を聴け』『トニー滝谷』ぐらいしか観ていないです。
そもそも映画化された作品も少ないようで・・・
さて、映画。

シングルマザーのサチ(吉田羊)は息子タカシ(佐野玲於)とふたり暮らし。
ある日、タカシがサーフィン中のハワイ ハナレイ・ベイでサメに襲われて命を落としたとの連絡を受ける。
対面したタカシの右脚は、膝から下がサメに食いちぎられて無かった。
それから十年・・・
サチは毎年、ハナレイ・ベイを訪れる。
タカシが命を落としたビーチ近くで、無為に時間を過ごすためだけに。
そんなとき、能天気なふたりの日本人サーファーの若者(村上虹郎佐藤魁)と出逢う・・・

といったところから始まる物語で、この後のことを書けば、ま、4~5行で物語は終わってしまうぐらいで、物語的にはほとんどないような感じ。

だけれど、興味深い。

サチが毎年ハナレイ・ベイを訪れる理由は明らかでない。
というか、サチ本人にもわからない。
ただただ「無為」に時間を過ごすだけ。

この「無為」さ加減がいい。
どうしていいかわからない・・・というような切羽詰まった感じでもなく、息子が命を落とした地を受け容れよう、それもと憎もう・・・というような白黒すっきり決着つけようというのとも異なる。
劇中、「この島を受け容れようと思いました」というサチの台詞が出てくるが、それはサチの行動が「無為」でなくなってからのことだ。

ふたりの日本人サーファーは、サチに「片脚のサーファーを見た」と告げ、サチはその幽霊のような片脚サーファーを必死に探す当然にして見つからない。
そこで初めてサチは「憎んでいた」けど「愛していた」息子の「喪失」を自覚し、追い打ちをかけるように、息子の形見の手形を前にして、「喪失」を受け容れようとする。

この映画の惜しいところは、このあと。

日本に戻ったサチは、日本人サーファーの片割れから大事な、けれど何気ない言葉を受ける。
「忘れっぽいことより、忘れることが問題」。

つまり、映画の文脈で考えれば、息子の手形の前で落涙したサチは息子の死そのものを「忘れようとしていた」のだろう。
が、映画ではそこのところがまるっきり省略されている。
何かワンカット、ツーカットほどあれば、もっと観る側に訴えかけたと思えるのだが。

とはいえ、なかなか見応えがある作品でした。
出演者いずれも好演。

評価は★★★☆(3つ半)です。

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2019年映画鑑賞記録

新作:2019年度作品:12本
 外国映画12本(うちDVDなど 0本)
 日本映画 0本(うちDVDなど 0本)

旧作:2019年以前の作品:18本
 外国映画13本(うち劇場鑑賞 5本)
 日本映画 5本(うち劇場鑑賞 2本)←カウントアップ
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