『孤独なふりした世界で』:諦めから始まる希望もある @DVD・レンタル

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今年4月に小規模ロードショウされた『孤独なふりした世界で』、DVDで鑑賞しました。
主演は、『スリー・ビルボード』が印象的だったピーター・ディンクレイジと、ここんところ出演作目白押しのエル・ファニング。
さて、映画。

米国の小さな田舎町。
理由は不明だが、町の住人はひとりを除いて死に絶えてしまった。
残されたのは、デル(ピーター・ディンクレイジ)。
図書館勤めで、各家から遺体を埋葬し、貸し出されたままの図書を回収し、残された写真を収集していた。
そんなある日、デルの目の前にひとりの少女がグレース(エル・ファニング)が現れる。
どこか別の、生存者がいる町からやってきたようにも思えるが・・・
若いグレースは、デルのこれまでの静かな暮らしに騒乱らしき事態を持ち込むが、いつしか淡々と町の片づけを協力して行うようになる・・・

といったところから始まる物語で、グレースの両親を名乗る中年男女(ポール・ジアマッティ、シャルロット・ゲンズブール)も現れ、グレースの存在理由も明らかになっていくが・・・と展開する、ディストピアもののSF映画の範疇に分類されるような作品。

興味深いのは、人類の大半が死滅した理由も、生き残った人々の生き残った理由も一切明らかにされない。
ここが、これまでのSF映画とは異なる点。

この映画の主眼は、なんらかの異常事態に直面し、遺された人間はどのようにして、その過去に決着をつけるか、ということ。
決着なんてつきはしないのだけれど、それでも生きていくにはどうしたらいいか。

粛々と淡々と「お片付け」するデルの姿はそのひとつで、過去の哀しみや苦しさなどを忘れ去るように作り替えられてしまったグレースは別のひとつである。

哀しみや苦しさを忘れ去り、なかったことにすればよい・・・ということを、この映画では是としていない。
それは、やはり、まやかしだろう。
けれど、なんらかの混乱した気持ちを無理やり何かにぶつけても、どうしようもない、ともこの映画では言っているように思える。

かつてない惨状を呈した911から十数年経ち、それまで混乱した気持ちを相手にぶつけてきた米国の映画としては、珍しいスタンスである。

諦めから始まる希望もある。
諦めではなく、許容・受容なのかもしれないが。

そんな映画のようだった。
だからタイトルが「I THINK WE'RE ALONE NOW」、もう僕らしかいないんだよ、そうだろ、なんだろう。

監督のリード・モラーノはこれまで撮影監督としてキャリアを積んできたひとで、『フローズン・リバー』などの撮影監督を務めている。
本作では、ネストール・アルメンドロス撮影の『天国の日々』ばりの美しい映像が印象的である。

評価はオマケも込みで★★★☆(3つ半)です。

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2019年映画鑑賞記録

新作:2019年度作品:42本
 外国映画38本(うちDVDなど 4本)←カウントアップ
 日本映画 4本(うちDVDなど 0本)

旧作:2019年以前の作品:54本
 外国映画41本(うち劇場鑑賞 9本)
 日本映画13本(うち劇場鑑賞 3本)
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