『マイブリッジの糸』ほか:あそびのゲイジュツ、アニメーションのせかい @企画上映

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アニメづいている今夏、さらに活動範囲を広げて短編アニメーションの世界へ。
自治体の文化振興協会主催の上映会&ワークショップで10本の短編アニメを鑑賞してきました。
お目当ては、山村浩二の2作品と岡本忠成の1作品。
鑑賞作品の短評などをば。

many go raounde/メニー・ゴー・ラウンド』 中西義久 2011年 6分

立体切り抜きペーパークラフトを組み合わせて、階段を上り続けたり、ケージをアップダウンさせたりといった連続運動を軽やかな音楽にのせてみせる作品。
永久運動に見える動作は、エッシャーの不思議画が立体になって動き出したような感じもします。
展示されていた撮影に使われたオブジェたちは意外と小さく、これが大きなスクリーンでは大きく見えるので、映画ってホント不思議。
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Wonder/ワンダー』 水江未来 2013年 8分8秒

手書き原画が動き出す、その躍動感。
アニメーションって、絵が動くってことが大切なのよ、って改めて思わされる。
使用された原画は8千枚以上。
色彩マーカーで描かれたものが、輪郭線のない水彩画になり、その過程で、生命の始まりと終わりを感じることができます。
『海獣の子供』のクライマックスは、これぐらい荒々しいラフさがあればよかったのに・・・とも思える作品。
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電車かもしれない』 近藤聡乃 2011~12年 3分56秒

異色バンドグループ「たま」の楽曲にインスピレーションを得た作品。
大正モダン&レトロな風貌のおかっぱ少女が楽曲にあわせて踊り続ける、いわば「ちょっと遅れて来たMTV」風。
新宿花園神社のテントで上映するのに相応しい雰囲気。

ふしぎなエレベーター』 山村浩二 1990年 7分

高層マンション群の一部屋に住む少年が乗ったエレベーターは、エラーを起こして、地下深くの不思議世界に到達する。
そこでは、モグラのような住人が、小鳥を捕まえては、ガラス瓶に閉じ込めて、歌声を聴いて愉しんでいた・・・
と、初期の山村浩二作品はストーリー重視だったことが伺える。

さまよう心臓』 秦俊子 2011年 9分52秒

廃墟で遊ぶ少年と少女。
廃屋の奥から不思議な声が聞こえ、少女が入っていくと、マネキン人形のような得体の知れないものが居、少女の心臓を奪ってしまう。
少年も、その得体の知れぬものに襲われるが・・・と、日野日出志のマンガのようなストーリー。
人形アニメにすることで、意外なコワサが出ていた一篇。
(たぶん、セルアニメだと、もっと安っぽい感じがしたのではないかしらん)
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ちからばし』 岡本忠成 1976年 11分 語り:岸田今日子

小泉八雲の原作に基づく、岡本忠成の人形アニメ。
人形造形がシンプルだが、それを動かす(というか、動いているようにみせる)技術・演出に改めて感心する。
表情などまるで変わらない人形なのだが、ライティングと少しの動きで感情が宿っているように感じられる。

白い手』 角銅博之 2005年 1分35秒

幻想小説作家が実際に体験したという話だが・・・
夜、ベッドで寝ているとき、足元から白い手が掌を広げて近づいてくる。
金縛りにあったように動けない私であったが・・・
結末には爆笑(予想は付くよね)。

めかくれ』 野中晶史 2019年 5分30秒

神社で「だるまさんがころんだ」に興じる5人の少年。
オニ役の子どもは、他の4人の悪意をどことなく感じている。
さもありなん、他の子どもたちは、その子が「だ・る・ま・さ・ん・が・こ・ろ・ん・だ」と数えている最中は、ばけものになっているのだから・・・
という、幻想的であるが、かなり恐ろしい物語。
画のタッチが、黒田硫黄というか諸星大二郎というか、それらの作家を思い出させるタッチで、絵だけでコワイ。

ナポリタンの夜』 坂元友介 2014年 7分

巨大なナポリタンスパゲッティが夜道を歩いている。
彼は出会うひとに関心を示すが、結局のところ、彼らを食ってしまう。
そして、3人の家族を食べたナポリタンは・・・という、あまりにシュールな物語。
ま、ナポリタンはイタリア料理ではないが、日本料理とも言い難いし・・・というアイデンティにかかわる物語(と解説にはあるが)。

マイブリッジの糸』 山村浩二 2011年 12分39秒
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今回の上映作品の中で、たぶん近年、一般上映された作品だと思うのですが。
タイトルの「マイブリッジ」とは、映画に先立ち、動きあるもの(ここでは、馬)の動きの連続写真撮影に初めて成功した写真家である。
これが、映画の原点になるわけだが、映画の仕組みとしては、「連続した動作の静止画を、短いフラッシュバックの中で魅せることにより、脳が連続した動作と認識する」ことに基づく。
なので、ここんところを知っているか知っていないかで、この映画の面白さはかなり影響される。

ということで、解説めいたものをば。

19世紀の写真家マイブリッジは、動くもの(動物)の瞬時の「動きを捉えること」に関心を寄せている。
考え出したのは、写真機を横に並べ、順々にシャッターを切る仕組み(当時の写真機は、一度に一回しかシャッターは切れない)。
馬を走らせ、馬が横切るタイミングでシャッターを切れるよう、横に並べた写真機のシャッターを切るタイミング装置が、馬の走路に伸ばした「糸」。
走路に張った糸が千切れるとシャッタが切れる仕組みなのである・・・

というのは映画が進むうちにわかる(ま、わからない人も多いと思う)。

そんな仕組みを生み出したマイブリッジであったが、妻の不倫を疑った彼は、嫉妬の念を重ねて、遂に妻の愛人と思しき男を射殺してしまう。

そんな背景がある中で、次元を超えた現代の母と娘。
幸せな(ような)暮らしを続けているが・・・

として、ふたつの時代が「糸」によって繋がっていく・・・というのがこの映画。

この映画、アニメーションの表現方法としては、手書きのデッサンのような絵が動き(それも時にはデフォルメされ、構図も歪んで)、それだけでも「アニメーション的」だが、奥に潜んだストーリー性がアニメーション表現だけで表現されていないのが惜しい。
つまり、表現的にはかなり傑出しているが、ストーリーテリングがそれに追いついていない。

ある種のストーリーを描くには、どうも、それなりの手法があるのかもしれない。
(だから、物語に魅了される人々は多く、表現技法に対するそれは少ないのかもしれません)

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