『天空の城ラピュタ』:宮崎監督の二律背反的テーマを抱えたの原点かも @テレビ放映

ラピュタ.jpg

8月29日放映の『天空の城ラピュタ』、オンエアで鑑賞しました。
この作品、初公開時に劇場で観ているのですが、その後、全編通して観たことがありません。
テレビでの放映も十数回目なのですが、「あ、やってるな」的で、ちら観程度でした。
このレビューで、そこいらあたりが解決できればいいのですが。
さて、映画。

少女シータは謎の男たちに飛行船に囚われていた。
そこへ女海賊のドーラの一味が乗り込んで来、撃戦の最中、シータは逃げ出すが、飛行船から墜落してしまう。
が、それを救ったのは見習い機械工のパズー。
シータの身体が、胸のペンダントの力で、ふわりふわりと浮いたからだった・・・

というところから始まる物語で、何度も観ているひとには、いまさらな説明。
ですが、初公開以来、冒頭から観る身としては、「あ、そうだったのか」です。

つまり、この映画、物語の佳境から始まっていて、その後に、シータが胸につけていたペンダントの秘密がわかり、かつ、彼女の出自がわかるという仕組み。
ということで、かなり乱暴な展開で、初公開時に鑑賞した際は、「なんだか、よくわからない」まま、パズーの冒険に巻き込まれてしまう。

そう、巻き込まれ型サスペンスなのだが、物語を引っ張るマクガフィンに意味があるので少々厄介。
映画作法では(この時分ぐらいまでは)映画を引っ張るマクガフィンには理由や説明は不要とされており(それを入れると話がややこしくなる。別に私が決めたわけではない。ヒッチコック先生がそう言っていたわけで)、そのマクガフィンになんらかの意味を持たすのは本当にめんどくさいこと。

なので、この映画、よく見ると二部構成になっていて、切れ目は「ラピュタ」の登場。

登場するまでは、明らかなヒッチコック型冒険映画なのだけれど、ラピュタが登場してからは、別の映画になる。

つまり、失われた世界であるラピュタにまつわるファンタジーと、そのラピュタに対する価値観のぶつかり合いである。

あまりよくわからないのだが、ラピュタが天空から地上を統べていたどうかはわからない。
シータの台詞からは、統べるまではいかないが、ある種の象徴のようなものだったと感じる(もとは空中に浮かんでいる、ちっぽけな島だった)。
が、ある時から機械化が進み、強大になっていく。

ここには、宮崎駿監督のアンビバレンツな思いが感じられる。
自然も愛すべきものだが、人工的なメカニズムも好き・・・

で、クライマックスは、シータと黒メガネ・ムスカとの対決になるわけだが、出自はほぼ同じ。
根っこが同じものが対立する・・・

で、結果、どうなるか?

前半の主人公であったパズーは、この対決から一歩引いた形になり、この「自然vsメカニズム」には参加しない(つまり、途中でヒッチコック映画のジェームズ・スチュワートやケイリー・グラントの影が薄くなってしまうということ)ので、初めて観たときに混乱したのかもしれない。
ま、パズーは最後までシータを守るのだから、それはそれでいい、という考え方もある。

さらに、はじめて観たときに混乱したのは、ラピュタの最後。
すべてが崩壊するわけではなく、根幹の巨大飛行石とそれに根を張る巨木だけが空中に浮かんで漂っていく・・・

70年代SF映画を観ていた身としては、この文明の勝利なのか、人工メカニズムの勝利なのかがよくわからなかった。
が、今回はよくわかる。

残ったラピュタはすべて自然のもの。
なるほど、そういうハナシでしたか。

そういう意味では、宮崎監督の二律背反的テーマ(Love自然、Loveメカニズム)を抱えたの原点かもしれませんね。
『風の谷のナウシカ』が、どれだけ「Loveメカニズム」かは憶えていないのですが・・・

評価は★★★★(4つ)としておきます。

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2019年映画鑑賞記録

新作:2019年度作品:62本
 外国映画52本(うちDVDなど 7本)
 日本映画10本(うちDVDなど 1本)

旧作:2019年以前の作品:66本
 外国映画49本(うち劇場鑑賞12本)
 日本映画17本(うち劇場鑑賞 3本)←カウントアップ
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