<特別企画>『スター・ウォーズ』シリーズを振り返る

エピソード9『スカイウォーカーの夜明け』でシリーズ完結を迎えた『スター・ウォーズ』。
個人的な想いをもって振り返りたいと思います。

1977年製作の『スター・ウォーズ』第1作。
日本公開は遅れること1年で、散々待たされた感がありました。
当時、思春期だったりゃんひさは映画に目覚めた頃で、度肝を抜かれたように憶えています。
この1作目がヒットしたことで、監督のジョージ・ルーカスは「この映画は三世代にわたる物語。それぞれが三部作で、合計9作になる」云々の発言があり、「スゴイ!」と思ったものでした。

が、映画がシリーズとして成立するようになったのは第2作目『帝国の逆襲』からで、ラストにおいて、ダース・ベイダーがルークの父だと告げるクライマックスにし、ハン・ソロとレイア姫の恋愛が勃興しつつ、ハン・ソロがフリーズ化されるという、ふたつのクライマックスを有していました。

この『帝国の逆襲』、りゃんひさのベストムービー(というか、大好きな映画ってことだけなのだけど)の上位を揺ぎなく占めているのですが、この終わり方を観た際に、「ははぁん、実は、連続活劇ドラマを撮りたい想いが先行してのルーカスの口から力出まかせね。三部作×三世代の物語の構想は固まっていないのね」と疑ったものでした。
どうしてそう思ったのかは、いまとなってはわからないのですが、それまでに『アメリカン・グラフィティ』ぐらいしかメジャー作品を撮っていなかったルーカスなので、「浮かれている」感をどこかしら感じたのかもしれません。
とはいうものの、3作目『ジェダイの復讐』(1983)で父子の物語が上手く収まり、基本的にはこれでルーカスも満足だったでしょう。
皇帝パルパティーンのあっけない死は、なんじゃぁ!と思ったのですが、このあっけなさがエピソード9で活かされるとは・・・

ということで、思春期に『スター・ウォーズ』を観始めたファンとしては、初期3部作(エピソード4~6)で、気持ち的には完結しています。

そして、『ジェダイの復讐』から15年以上も経ち、エピソード1『ファントム・メナス』が登場した時には、驚いたものです。

当初「三部作×三世代」と言っていたものが、このエピソード1の際には「三部作×二世代」の6部作にルーカスの構想も変化しており、「やっぱり、9部作構想は口から出まかせ・・・」と思ったものでした。
このエピソード1~3のアナキン三部作をルーカスが「是が非でも」撮りたいと思ったかどうかは、微妙な気がします。

『ジェダイの復讐』から『ファントム・メナス』の間の15年間で、デジタル技術は格段に進歩し、その技術を使ってみたい!という想いが強く出た結果ではないでしょうか。

15年の間にルーカスは初期三部作の「特別篇」を製作しており、製作当時にできなかったことをデジタル技術で表現したいを感じて、また「ここまで出来る」という感嘆の日々だったでしょう。
「特別篇」も劇場で鑑賞しましたが、ドラマの根底(サーガ)にはほとんど寄与しておらず、やはり余技篇の扱いが妥当でしょう。
(このあたりは、『ブレードランナー』が初公開版よりも、ディレクターズカット版、ファイナルカット版の方が正統として扱われているのとの違いでしょう)

そして、エピソード1~3。
シリーズ中のドラマツルギー的にはバランスを崩している三部作で、エピソード1のアナキンがあまりにも幼く、2及び3の連続性とはかなり異質な感じもします。
イメージとしては、プロローグ+2部作です。
さらに、アナキンがダース・ベイダーになる原因は描かれているが、アナキンの出自は描かれていない(母方だけで、父親が不明)。
つまり、世代の源流は描かれず、ここいらあたりは、個人的にもやもやがのこるところでですが、ダース・ベイダーになるまでのハナシを1作で描くことが出来ないと悟ったがゆえに、そこは目をつぶり、後続の2作でベイダーへの道を描くことにしたのかもしれません。
(ということで、「やっぱり、当初から構想はないのね」)

とはいうものの、デジタル技術を全面活用して映画作りをしたいと思ったルーカスの野望はここに成し遂げられ、『シスの復讐』でうまく第1作(エピソード4)につなげた時は、「さすがFOX。円環構造の『猿の惑星』シリーズを作っただけはある」と思いました。

エピソード1~3で記憶にとどめたいのは次の2点。

ひとつめは、3作品ともジョージ・ルーカスの監督・脚本(エピソード2のみ共同脚本)。
たぶん、誰もやりたがらない(成功しても称賛されないし、失敗したらボロクソに叩かれる)のと、新しいデジタル技術をルーカスが使いたくてしようがなかったのでしょう。

ふたつめは、「惑星間戦争」の始まりが、関税問題だったということ。
関税問題がこじれて、戦争になってしまう・・・
はるか遠く宇宙の空想的物語が、実は、かなり身近な問題から始まっていた。
そういう設定をしたあたりに、時代の空気を感じました。

そして、6作撮ったところで、ルーカスは権利をディズニーに譲り渡し、エピソード7~9になるわけですが、ディズニー的マーチャンダイジングによって一般受けするように作り替えられていますが、ルーカスの(妄想的)9部作構想を巧みに物語化したといえましょう。

善と悪のフォースの闘い・・・
この、善と悪の闘いという構図は初期三部作でも描かれていたことなので、どうしても似たり寄ったりのハナシになってしまう。
そこのところは端から承知、逆に承知しないのは無粋ともいえます。
なので、それぞれが初期三部作に焼き直しであったとしても、そこは致し方ない。

スカイウォーカーのアナキン、ルーク、ベンが善と悪の狭間で揺れ動き、最後には善になる・・・でいいのではないかしらん。

と思う反面、エピソード1~3がアナキンの出自を描かず、名もなき者から始まる英雄譚が、最後の最後に出自が明らかなところに収まってしまうのは、どうにも合点がいかないのです。

ま、英雄譚でなければ、ベンとレイが協力して帝国の首魁の座につき、
ふたり 「そもそも闘いの始まりは何だったんだろうねぇ・・・」
C-3PO 「わたしの記録では、関税問題だったようです」
ふたり 「え!?」
R2-D2 「ピピピピピ・・・・」
C-3PO 「互いに話し合えばいい、と言っていますが・・・」
ふたり 「じゃあ、お互いの立場を話し合えばいいね。ところで、問題点は何かしら?」

ってのが、真の『スター・ウォーズ 新たな希望』ではありますまいか。

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