『今日もどこかで馬は生まれる』:名前のある馬たちに対する責任とは @ロードショウ・単館系

今日もどこかで馬は生まれる.jpg

昨年末から上映が開始されたドキュメンタリー映画『今日もどこかで馬は生まれる』、ロードショウで鑑賞しました。
定員100名に満たない小さな劇場で、朝1回だけの上映。
三連休を利用して出かけましたが、開場早々満席になりました。
早めに着いたので、ちょっと辺りをぶらぶら・・・と思ったのですが、止めてよかった。
さて、映画。

毎年8000頭ほどが生まれるサラブレッド。
中央競馬で勝ち上がり、その後、繁殖もしくは種牡馬になれる馬はごくわずか。
残りは、地方競馬で走ったり、乗馬に転用されたり・・・
でも、それはまだいい方で、廃用になれば食肉になる・・・
そういうサラブレッドに関わる人々を捉えたドキュメンタリー映画です。

撮影期間は意外と短くて1か月足らずのようだが、その中でもかなりトータルに写し取っています。

競馬ファン、騎手、調教師、馬主はもちろん、生産者牧場、育成牧場、引退馬の繋養牧場、乗馬クラブ、そして屠畜場・・・

優勝劣敗が顕著な競馬世界は、もちろん人間が造り出した世界であり、早く走ること、他馬に勝つことでしか生き延びられないサラブレッドという生きもの。
そんなサラブレッドの一生、理想的な一生というのは、どういうものなのだろうか。

繁殖馬もしくは種牡馬になれるのがもちろんいいに決まっているが、そんな立場でも、仔出しが悪ければ、産駒成績が冴えなければ、「廃用」となる。
常に廃用とは隣り合わせの状況だ。

人間がつくり出した環境でしか生きられないサラブレッド・・・

生産者は、無事に仔馬が生まれるように努力し、競馬で走ってくれることを願い、馬主を探す。
育成牧場は、早く走り、疲れず、数多く走り、そして毀れないように育てる。
騎手や調教師は、ひとつでも勝ち星を挙げ、長く走らせるようにする・・・

それでも・・・
勝てず、繋養していくことが困難な状況になってしまう。

個人的には、廃用になり、食用になってしまうのもしかたがないことだとは感じる。
が、個々に名前のついた馬たちが、応援していた馬たちが、最後に(最期に)どうなったのかは、やぱり知りたいと思う。

そして、その最後を受け容れるところから、はじめたい。
それが、責任の第一歩だろう、そう思う。

評価は★★★★(4つ)としておきます。

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2020年映画鑑賞記録

新作:2020年度作品: 3本
 外国映画 1本(うちDVDなど 0本)
 日本映画 2本(うちDVDなど 0本)←カウントアップ

旧作:2020年以前の作品: 1本
 外国映画 0本(うち劇場鑑賞 0本)
 日本映画 1本(うち劇場鑑賞 0本)
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