『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』:さようなら・・・さようなら・・・ @ロードショウ
話題のアニメ、庵野秀明監督最新作『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』、ロードショウで鑑賞しました。
テレビの『新世紀エヴァンゲリオン』はオンエア終了後あたりに、エアチェックしたビデオで全話鑑賞しました。
劇場版はいくつかありますが、リビルドシリーズの「序」「破」「Q」は鑑賞していません。
なので、「わかるかしらん?」と心配しましたが・・・
さて、映画。
ニアサードインパクトで、わずかに生き延びた人類は細々とした暮らしを営んでいた。
多くの犠牲の責任が自分にあると思い続けているシンジはほとんど人格崩壊のようなさまとなり、レイ、アスカとともに自給自足様生活をする「第三村」で生活を始めることになった。
そこには旧友・相田ケンスケの助けが大きかった。
そんな折、シンジの父ゲンドウは「人類補完計画」を最終段階に移すべく行動をとっていた・・・
というところからはじまる物語。
テレビ版しか観ていないので、前作からのつながりなどはわからないのですが、冒頭繰り広げられる戦闘シーンから、その画力に圧倒されます。
ですが、主人公シンジが登場してからは・・・
うーむ、やはり、ひとりで思い悩んでいるだけなのね。
というわけで、物語を進めていくのは周囲の人々。
ヒロイン(と思われた)レイは途中であえない最期を迎え、もうひとりのヒロイン、アスカも終盤の戦闘で最期を迎える。
(いや、どちらも最期ではないのだけれど)。
で、全貌が現れる「人類補完計画」。
当初計画者の葛城博士の思惑とは別に、ゲンドウは本当の目的があるようで・・・
「知識の実」「生命の実」のふたつのうちどちらかを選ばざるなかった人類にとって、「生命の実」を得、そしてすべてを構成する微粒子として存在することが究極の人類の姿・・・という壮大すぎるもともとの計画を、ゲンドウは「孤独な自分を救ってくれた妻ユイを甦らせ、永遠の存在にする・・・」という、恐るべきパーソナルなところに決着させる。
畏るべし、ゲンドウ。
ゲンドウからそんな妻愛を最終的に引き出してしまう息子シンジが求めていたものは、父ではなく母だった・・・
って畏るべしいほど古風な物語。
げげげ、そこかい!
いや、それだよ!
そうあるべき!
そうじゃなきゃ!
壮大にみえてパーソナル、パーソナルにみえて壮大。
後半、物語はほとんど破綻している。
その破綻している物語をアニメで、どう表現するか。
たしかに、こう描くしか手はないように思われる。
「傑作」かもしれないが、「秀作」「良作」では決してない。
そういえば、庵野秀明監督はテレビ版『新世紀エヴァンゲリオン』以降は、エヴァ以外のアニメは監督していない。
そこから考えれば、やはり「エヴァンゲリオン」とは、庵野秀明そのものだろう。
さようなら、すべてのエヴァンゲリオン。
さようなら、アニメ監督・庵野秀明。
評価は★★★★(4つ)としておきます。
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2021年映画鑑賞記録
新作:2021年度作品: 9本
外国映画 4本(うちDVDなど 0本)
日本映画 5本(うちDVDなど 0本)
旧作:2021年以前の作品:20本
外国映画14本(うち劇場鑑賞 1本)
日本映画 6本(うち劇場鑑賞 0本)←カウントアップ
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この記事へのコメント
エヴァを全くしらなくても、庵野秀明の私小説だということがわかるぐらい、庵野そのものだったですね。