『鏡』:現在も過去も我も彼もすべては不可分 @特別上映

タルコフスキー鏡.jpg

アンドレイ・タルコフスキー監督の1974年作品『』、特別上映で鑑賞しました。
ここ数年の間に『僕の村は戦場だった』(1962)、『ストーカー』(1979)を鑑賞しているので、ゆっくり静かにタルコフスキー・レトロスペクティブを開催しているような感じです。
さて、映画。

樹木に囲まれた木造の小屋のような家。
その囲い柵にひとりの女性(マルガリータ・テレホワ)がまどろんでいる。
柵の向こう、草原の彼方から行きずりの医者が女性に声をかけるが、彼女は男を相手にしない。
去っていく男のあと、草原の上を風が通り過ぎ、草々が大きくたなびいていく・・・

といったところから始まる物語で、女性は主人公である映画監督の母親ということが判る。
映画監督は、妻と離婚して、あまり身体の具合が良くない・・・

映画監督はタルコフスキー自身のようであるが姿を現さず、妻役はマルガリータ・テレホワが二役を演じている。

タルコフスキーの自伝的な回想映画であるが、時間軸は曖昧で、現代と思われていたものが突然過去になったり、カラーの画面がモノクロへと転じ、非常にわかりづらい。

この漠然とした物語の進め方は、監督の想念や夢のようなものであり、すべてを観客が理解することは困難極まりないが、タルコフスキーが明確に理解してほしいとも思っていないので、それでよい。

現代という「時」も、過去という「時」も不可分なのが、記憶というものであり、母親という「存在」も、妻という「存在」もやはり不可分なのだろう。

観る側は、いくつかわかるエピソードのそれぞれの美しさや鮮烈さを脳裏に焼き付ければ、それでよい。

干し草小屋が火事になり、その炎の揺らめき。
とんでもない誤植をしたのではないかと不安になった若き日の母。
木造小屋の内側の壁を伝い流れる雨・・・

そんなミニマムな出来事が、中国の文化大革命などの歴史的出来事と、大小の差などなく並んでいく。

まだステディカムなど発明されていないにもかかわらず、ゆったりと動くカメラは美しい。

けれど、やはり、何度かうつらうつらしてしまう。

が、うつらうつら、現(うつつ)も夢もまた同じ、そんなことを感じながら堪能した次第でありました。

評価は★★★★(4つ)としておきます。
タルコフスキー鏡パンフ.jpg

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2019年映画鑑賞記録

新作:2019年度作品:85本
 外国映画65本(うちDVDなど12本)
 日本映画20本(うちDVDなど 5本)

旧作:2019年以前の作品:78本
 外国映画53本(うち劇場鑑賞14本)←カウントアップ
 日本映画25本(うち劇場鑑賞10本)
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