『紅いコーリャン』『芙蓉鎮』:夏の盛りに中国映画の傑作2本:特集上映にて
80年代の中国映画の傑作2本を特集上映で鑑賞しました。どちらも主演男優は姜文(チアン・ウェン)ですね。
さて、『紅いコーリャン』。
こちらは「あまりにヘヴィで鮮烈な一遍」。
張藝謀の有名なデビュー作ですが、恥ずかしながら、彼の作品中唯一見逃していました(いま告白しました)。
今回は、中国映画の特集上映で、夏の暑い盛りに劇場で鑑賞しましたが、夏の暑さだけでなく、映画の暑さにも当てられたようで、観終わった後、クラクラと眩暈(めまい)を感じるほどでした。
前半の土俗的な民話のような物語から、後半一転、抗日戦線での描き方は、異様なほどの迫力と凄まじさです。ぎらつくような紅を基調とした画面づくりも、さすがは肉食ってる民族というような野性味や生命力を感じさせるものがありました。
『秋菊の物語』で庶民を描く以前の張藝謀の先鋭性も感じました。
それにしても、姜文、殿山泰司にそっくりではありますまいか。
続いて、『芙蓉鎮』。
日にちをおいて同じ劇場へ出かけました。こちらは、初公開時に劇場で観て以来なので、おおよそ20年振りか。
芙蓉鎮という架空の街を舞台に、文革による激動の歴史を凝縮してみせるという、波乱万丈の物語。
かなり忘れていたようで、再鑑賞するまでは、劉暁慶(リュウ・シャオチン)と姜文が最初から夫婦だったと謝って記憶していたほど。
また、劉暁慶の激動の女性史を『風と共に去りぬ』ばりに描いていたかしら、と思っていたが、後半は、劉暁慶と姜文を取り巻く人々(例えば、党の女性幹部やそれに阿(おもね)るレオナルド熊似の元土地持ちの男性、また、劉暁慶にクズ米を融通していた党の委員など)の浮沈を立体的多層的に描いていて、文革の時代がどんなものであったが判りやすくなっている。
この映画が、劉暁慶の激動の女性史映画でないことは、落ちぶれ気もふれてしまったレオナルド熊似の男性が「また、革命が来るよ、また、革命が来るよ」と声高にいいながら芙蓉鎮の街を歩いていくところで終わることでも明らかだ。
にも係わらず、覚えていなかったとは、何たる不覚か・・・。
改めて鑑賞するって、やっぱり大切なことのようで。
さて、『紅いコーリャン』。
こちらは「あまりにヘヴィで鮮烈な一遍」。
張藝謀の有名なデビュー作ですが、恥ずかしながら、彼の作品中唯一見逃していました(いま告白しました)。
今回は、中国映画の特集上映で、夏の暑い盛りに劇場で鑑賞しましたが、夏の暑さだけでなく、映画の暑さにも当てられたようで、観終わった後、クラクラと眩暈(めまい)を感じるほどでした。
前半の土俗的な民話のような物語から、後半一転、抗日戦線での描き方は、異様なほどの迫力と凄まじさです。ぎらつくような紅を基調とした画面づくりも、さすがは肉食ってる民族というような野性味や生命力を感じさせるものがありました。
『秋菊の物語』で庶民を描く以前の張藝謀の先鋭性も感じました。
それにしても、姜文、殿山泰司にそっくりではありますまいか。
続いて、『芙蓉鎮』。
日にちをおいて同じ劇場へ出かけました。こちらは、初公開時に劇場で観て以来なので、おおよそ20年振りか。
芙蓉鎮という架空の街を舞台に、文革による激動の歴史を凝縮してみせるという、波乱万丈の物語。
かなり忘れていたようで、再鑑賞するまでは、劉暁慶(リュウ・シャオチン)と姜文が最初から夫婦だったと謝って記憶していたほど。
また、劉暁慶の激動の女性史を『風と共に去りぬ』ばりに描いていたかしら、と思っていたが、後半は、劉暁慶と姜文を取り巻く人々(例えば、党の女性幹部やそれに阿(おもね)るレオナルド熊似の元土地持ちの男性、また、劉暁慶にクズ米を融通していた党の委員など)の浮沈を立体的多層的に描いていて、文革の時代がどんなものであったが判りやすくなっている。
この映画が、劉暁慶の激動の女性史映画でないことは、落ちぶれ気もふれてしまったレオナルド熊似の男性が「また、革命が来るよ、また、革命が来るよ」と声高にいいながら芙蓉鎮の街を歩いていくところで終わることでも明らかだ。
にも係わらず、覚えていなかったとは、何たる不覚か・・・。
改めて鑑賞するって、やっぱり大切なことのようで。
この記事へのコメント
人間はその時に興味のある見方しかしないし、また興味のあることしか覚えていないものです。若い頃観た映画を歳取ってから観直すと、
また新たな魅力が発見されてすばらしいものですよ。一本で二度も三度も楽しめるといいますかね。
魅力の再発見どころか、かえってつまらなくなった映画は、公開した時代の寵児的なもの、
まあ、忘れていい映画でしょうな。
ちなみに、「芙蓉鎮」で共演したリュウ・シャオチンとチアン・ウェンは、それが縁でといいますか、いろいろ噂があったようです。