『ある過去の行方』:監督の独り相撲のような捻った映画 @ロードショウ・シネコン
『彼女が消えた浜辺』『別離』のアスガー・ファルハディ監督最新作『ある過去の行方』、ロードショウで鑑賞しました。
前作の『別離』では、見応え充分だが、憂鬱な気分になりましたが、本作は納得のできない作品でした。
さて、映画。
妻マリーアンヌとの離婚手続きのため、4年ぶりにフランスに住む彼女のもとを訪れたイラン人アマード。
妻は、別れた前夫との間に出来たふたりの娘と暮らしているはずだが、クリーニング店を営む男性サミールと再婚するために、サミールの息子を含めて暮らしているという。
妻と娘との関係は良好だったはずだか、いまは長女リュシーとの間がうまくいっていない、という。
何があったのか気にかかるアマードであったが・・・
タイトル『ある過去の行方』(原題「LE PASSE」、過去の意味)にあるとおり、アマードが不在の間におこった過去の出来事、それがマリーアンヌたちをどのように変えて、どのように変わっていこうとしているか、が焦点の映画です。
「アマードが不在の間におこった過去の出来事」なのねぇ、ふーん、なんだかなぁ。
と、りゃんひさの興味がのっけから殺がれてしまいました。
4年ぶりに戻ってきた夫、迎える妻なんだから、「ある過去」は4年前のふたりであるべき。
なんだけど、まぁいいか。
それにしても、主役のマリーアンヌという女性の身勝手・自己中心的・後先をあまり考えない行動には、観ていてイライラさせられます。
でも、「アマードが不在の間におこった過去の出来事」の真実が明らかになって、彼女とアマードが「どのように変わっていくのか」がみれれば満足、と思って観進めましたが・・・
「アマードが不在の間におこった過去の出来事」とは、いまマリーアンヌが交際しているサミールの妻が鬱により自殺を図って現在植物人間状態になっている、ということ。
その自殺の原因が、マリーアンヌとサミールと交際にあると、長女リシューは感じていること。
しかし、遠因は・・・(ここは書きません)。
えええぇ、なんだかどんどん物語の中心からズレていっている・・・
その上、マリーアンヌとアマードの関係性は変わっていかない。
特に、マリーアンヌはなにひとつ変わらない・・・
そしてそして、映画の最終シーンは、マリーアンヌとアマードでも、ふたりの家族でもない。
って、ストーリーテリングが破綻しています。
うーむ、『別離』のレビューで書いたのですが、「ある事柄がキッカケで主人公たちの心が変わっていく、というのは映画の王道でありますが、この映画のようにひとつも善いところに転がっていかず」、主要人物のこころが変わらない映画というのは、いかがなものか。
よしんば、「主要人物のこころが変わらない」とするならば、映画はマリーアンヌとアマードで終わるべきではありますまいか。
なんだか、監督(脚本も兼ねた)の独り相撲をみせられたようで、不愉快になりました。
評価は★2つ半としておきます。
↓アスガー・ファルハディ監督作品DVD↓
------------------
2014年映画鑑賞記録
新作:2014年度作品
外国映画12本(うちDVDなど 1本)←カウントアップ
日本映画 8本(うちDVDなど 0本)
旧作:2014年以前の作品
外国映画44本(うち劇場 3本)
日本映画13本(うち劇場 3本)
------------------
この記事へのコメント
ももう一度観直してみるべきかもしれませんね。