『人間の証明』:公開当時、古臭いと思ったが・・・ @DVD・レンタル
ことしは角川映画40周年。
ひと月ほど前に『Wの悲劇』を再鑑賞したが、こんどは『人間の証明』。
角川映画第2弾、昭和52年の文化庁芸術祭の出品作品。
個人的には、この映画が角川映画事始め。
かなりの物量宣伝で、その宣伝に乗せられ期待して観に行ったことを覚えている。
さて、39年ぶりに再鑑賞してみて・・・
東京都心の高層ホテルのエレベーターでひとりの黒人青年が刺殺される。
絶命する直前、「ストウハ・・・」という謎の言葉を残して。
折しも、そのホテルでは現在売り出し中の女性デザイナーのファッションショウが終わったところだった・・・
というところから始まる物語は、ご都合主義的で偶然な人間関係のなか、お涙頂戴のスピーチをもってエンディングとなる・・・というのが、まぁ、普通の感想かなぁ。
たしかに、そうなんだけれど、初公開から39年も経って観ると、結構、興味深かった。
主要人物は4名。
ひとりは、売り出し中の女性デザイナー・八杉恭子。
ふたりめは、殺された黒人青年ジョニー。
さんにんめは、事件を追う若い刑事・棟居。
最後が、ニューヨークのシュフタン刑事。
かれら四人が四人とも、戦争の影を引きずっており、それが大味ながらも、人間の悲哀を感じさせる。
終戦後の混乱。
戦時のような、お題目のなくなった、人間の本性むき出しの混乱。
その混乱は人間性もゆがめ、ゆがんだ人間性は、歪んでいていたことすら忘れさせてしまう。
中盤登場する「罪を背負って、どうやって生きていくか? それが人間の証なのよ」というセリフ。
かなり強烈だ。
忘れることこも人間の証だが、忘れないことも人間の証。
ここいらあたりは、松山善三の脚本だなぁ、と感じる。
『砂の器』や『ゼロの焦点』を彷彿させる展開、クライマックスのお涙頂戴の長台詞など、昭和52年の時点でも古臭い映画なんだけれど、それが39年も経つと意外と古臭く感じないのは、どういうことかしらん。
俳優陣では、シュフタン刑事役のジョージ・ケネディが出色。
棟居刑事役の松田優作は、始終しかめっ面をしているだけで、あまりうまくない。
それに、見た目が浅黒すぎて、結果、白人、黒人、日本人というコントラストが際立たなくて、残念。
評価は★★★☆(3つ半)としておきます。
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2016年映画鑑賞記録
新作:2016年度作品:59本
外国映画42本(うちDVDなど 4本)
日本映画17本(うちDVDなど 2本)
旧作:2016年以前の作品:67本
外国映画54本(うち劇場11本)
日本映画14本(うち劇場 5本)←カウントアップ
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この記事へのコメント
ご指摘どおり、ラストがいいです。
これがないと、ただのお涙頂戴の映画になっちゃいますもの。
むかし、原作小説も読みましたが、どうだったかなぁ。
残念ながら、覚えていなです。