『アマンダと僕』 :ラストショットをどう捉えればいいのかだろうか @DVD

アマンダと僕.jpg

昨年初夏にロードショウされたフランス映画『アマンダと僕』、DVDで鑑賞しました。
2018年の東京国際映画祭グランプリ受賞作品です。
と書きながらも、知らなかった・・・
さて、映画。

パリで民泊アパートの斡旋と街路樹などの剪定で生活費を稼いでいる24歳の青年ダヴィッド(ヴァンサン・ラコスト)。
近所に暮らすシングルマザーの姉サンドリーヌ(オフェリア・コルプ)の7歳になる娘アマンダ(イゾール・ミュルトリエ)の送り迎えなどもやっていて、それなりに毎日は忙しい。
そんな中、斡旋するアパートにやって来た若いピアノチューターのレナ(ステイシー・マーティン)と恋に落ち、生活はますます充実するかに思えたある日、姉とレナが事故に巻き込まれてしまう・・・

といった物語で、その後は、死んだ姉に代わって、幼いアマンダを引き取るかどうかを悩みつつ、自身とアマンダが姉の死を含む事故をどう乗り越えていくかが繊細に描かれていきます。

で、ここまで「事故」とは書いたけれども、単なる事故ではなく、長閑な公園での無差別テロであるところに、ある種の引っかかりを感じて、なんだか素直に観ることができない。
その上、その無差別テロ事件は、まるで日常の、ありふれた、よくある事故レベルとして、完全の物語の背景としか描いておらず、それがまた引っかかってしまう。
テロが、パリの(というか世界の)日常なのか・・・
それとも、主人公たちに関わる複数の人々が傷を負うための、物語上の仕掛けなのか・・・

と、気になってしまうので、こういう設定は止してほしい、というのが本音。

遺されたアマンダを引き取るにあたっては、年齢が15歳以上離れていなければならない、などの法令があるあたりは興味深く、アマンダもダヴィッドも、そして腕を負傷してしまうレナを含めての、被害者と遺族の再生を描いていくさまは、やはりリアリティを感じました。

最後は、サンドリーヌが用意していたウィンブルドンテニス選手権観戦チケットを使って、ダヴィッドがアマンダが試合を観戦するシーンで終わるのだけれど、エンドタイトル前のラストカットが非常に不思議な印象を残します。
そのカットは、笑顔のアマンダが陽光にきらめいて溶けていくように見えるショットなのだが、監督はたぶん、取り戻した日常のきらめきを表したかったのかもしれないが、なぜだか、テロによって奪われる日常の様子を表したようにも見え、観るものに不安な傷跡を残しました。
なにせ、その後のエンドクレジットの背景画面が、楽し気な日常の「公園」の風景なのですから。

なお、早くに出奔してしまったダヴィッドと姉の母親役をグレタ・スカッキが演じています。

評価は★★★☆(3つ半)としておきます。

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2020年映画鑑賞記録

新作:2020年度作品: 12本
 外国映画 8本(うちDVDなど 0本)
 日本映画 4本(うちDVDなど 0本)

旧作:2020年以前の作品: 10本
 外国映画 6本(うち劇場鑑賞 1本)←カウントアップ
 日本映画 4本(うち劇場鑑賞 0本)
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